なぜ人はがんばれるのでしょうか?


わたしたちは、どうしたら、
がんばってみようという気になれるのでしょうか?


わたしは歩けないですよね。
握力もないですから、家事もしませんよね。


世間一般に言われる「はたらく」という意味では、
とっても「ラク」をしているんですよぅ。


この「ラク」すること・・・
自由に使える時間もあり、
大きな責任などありませんからね。


でも、神さまは、
ラク」を喜ぶ人間を好まないと知りました。
なぜなら、「ラク」をする代償はとても大きいのです。


まほで言うなら、歩かなくて、車いすですから、
脚力はどんどん衰え、足だけ細くなります。
歩くという運動さえしませんから、
引き締まることなく、ダラシナイ体。
体重の数値は少なくても、それは足が軽いだけのこと。


握力がないからペットボトルのふたなど、
緩めておいてもらわないと、
開けられません。


最近、ふたを替えたんです。
ボタンを押せば、ぱっと飲み口が開く便利なものに。
そうしたら、いままで開けることができた
ペットボトルのキャップがまわしづらいんです。


そうです。
ラク」をすることは、
本来持っている能力を奪います。
手や足を使って苦労することは、
将来の自分のためなんです。


考えますと、いまは
次から次へと新しいものが出てきます。
考えるまでもなく、新しいものを買い、
なにが大事なものであるか、なにが自分に必要なのか、
あたまを使い考えるということが減っていると、
思われませんか?


まほが危険なのは、
料理もしないですから、
冷蔵庫にある食材を見て、
今日はこれを作ろうというように、
考えることがないこと。
あたまが錆びるんですよぅ。


悩みすぎて、ストレスになって、
こころが病んでしまったら、いけませんが、
自分のあたまで「なぜ」と考える癖が
いる気がしますよ。



なぜ、人はがんばれるのか・・・
まほは、悲しませたくない人、
喜んでほしい人がいるからです。
そうして、やっぱり、しあわせに生きたいからです。




「一番甘えられるのは」


誰もが
人に
迷惑かけたくないって
言いますよね


でも
これって
違う気がするんです


そう思うから
生きるのが
苦しいんじゃないんですか?
こころが
辛くなるんじゃないんですか?


だって
自分にも厳しくて
その上
他人にも
頼れないんですから


こころは
どこにも行けず
不安ですよね


強がらないで
かっこつけないで
自分に甘えて
他人にも甘えて
いいんじゃないんですか?


人は
助け・助けられ
生きているんですから



2009.09.17