自己満足の世界から「まごころ」へ

55歳と299日目の朝です。
昨日はまたパソコンがおかしくなり、
でも、わすれなぐささんに
対処方法をコメントいただいたおかげで、
「こまったくん」を直せました。



わたしは文字が書けなくなったので、
パソコンが絶対必要。
耳がほとんど聴こえないので電話に代わり、
家族や友人との連絡はすべてメール。
しゃべりも人工呼吸器(7ヶ月装着)が入っていたので
その間のどの筋肉を使わなかっただけで、
幼児のようなしゃべりです。
リハビリの先生との会話をスムーズにするため、
リハビリレポートを書いていき、
それを読んでいただき、先生にご理解いただきます。



人と人が理解し合うのには、
ことばって大事ですね。
(言葉がなかったら http://mahonoai.exblog.jp/8624429/
ブログの文章では長文ですが、
実際のまほは短い単語で、不愛想ですよぅ。
ろれつが回らないし、
長時間しゃべること自体、つかれます。
(言葉が不鮮明ですし、集中して聴くことにつかれるみたい)



今日は連休最後の日(敬老の日)、
どうぞみなさんにとっても佳き日でありますように。


☆-----------☆


わたしは入院中、
こころも病んでいたんだと思うのですが、
出勤前に病院へ家族が来ないと、
「朝寝坊したんじゃないか」
「交通事故にあったんじゃないか」と、
勝手に妄想し、心配事で心を、
不安にしていました。



そんなわたしを、不安にさせないため、
残業で病院に寄れない夜は、
ナースステーションに伝言するという方法を
家族は取りました。



健康なこころを持っている人は、
「今日は仕事が忙しいんだ」と、
想像し、納得されるんでしょうが、
カラダもこころも病んでいる「まほ」には、
そういう思い方ができなかったのです。



つまり、いつもと違う行動は不安を
掻き立てるわけです。
自分の心と相手の自由を
奪ってしまうんですね。



これは、自分の心が病んでいるときには、
気づきません。
いま元気だから、振り返り思えるんですね。



歳を重ねないと、苦労しないと、
気づけないんですね。
ちょっとは、心がおりこうに
なっていると思えば、
苦こそ、人生の師かもしれませんね。。。



いいかげん気づこう。
十年後に、
人生をやり直したいと
思わないように。

転がる石に苔は生えない、
流れる川の水は腐らない。

(引用元不明)

マイナスを想った方が心が落ち着くか、
プラス思考で行った方が生きやすいか、
それを選ぶのは本人の自由です。



選べるって最高のしあわせですよ。
答えがひとつしかないなら、受け入れるしかないです。
受け入れられなければ苦しいだけ。



受け入れられずに苦しむか、
とりあえず受け入れてみて、喜びをほかで探すか。
まほは後者の人生で行こうと思っています。
自分が生きているうちに、
家族はじめ周囲の人をしあわせにしたいですもん。



まほだけがしあわせに生きることなんてあり得ない。
お世話してくれる家族がふしあわせだったら、
当然、まほもしあわせではありません。



つぶやけるのは、
つらいこと、思い悩むことがないわけではありませんが、
今のまほは自分で何とか解決の道を見つけられます。
10年前、泣き、苦しんだことが、
今ちゃんとまほっちを強く、賢く鍛えてくれたようです。



あの時のことがあったから、まほは変われました。
ありがとう。。。