絶望を乗り越えますと・・・


みなさん、おはようございます。
56歳と5日目の朝です。(日記をつけた日数:385日目)
昨日の記事もたくさんの方が読んでくださったのですね。
ありがとうございます。
人間と言うのは弱いですから些細なことで落ち込みます。
・・・が、小さなあたたかな思いやりに支えられ、
がんばって生きていけるのですね。
今日はお昼からリハビリです。
みなさんのおしあわせを祈って、ふんばってきます。
(過去記事のコピーですが、まほの体験を)



本当に「絶望」した時、
人は「執着」を去り、
「自由」になるのです。
それはもはや、そこで当てにして
待たなくてもよい「自由」です。
そして本当に必要な行動を、
主体的に自分が行っていけるのです。
(「普通がいい」という病、泉谷閑示)


上記の言葉を読んで、そうだなあと、
50代のまほは感じました。
(50代だから共感するのかな)



絶望しかなかった気持ちが、
家族はじめ周囲の愛によって、
出来ないことだらけの自分はだめという思いを
手放した時、何かが変わった気がしました。



自分はだめな奴というこだわりを捨て、
動き出した時、
意欲が次なる意欲を生みました。
まほの場合、
3歳児になったつもりでひらがなを書くという
練習でしたけれど・・・ね。
一応かなりの漢字まで
書けるようにはなったのですが、
手の震えがひどいと返信も出来ず、
パソコンの力を借りることになりました。
(再起に懸ける http://mahonoai.exblog.jp/9361074/



パソコンのタッチは鉛筆を握るタッチと違い、
徐々に文字が書けなくなりました。
でも大丈夫。
パソコンはわたしにみなさんとの
ありがたい出逢いをくれましたから。
そうして毎日楽しく過ごさせていただいております。


強くなることはないです。
弱い自分に苦しむことが
大事なことなんです。
人間は元々弱い生き物なんです。
それなのに、心の苦しみから
逃れようとして強くなろうとする。
強くなるということは
鈍くなるということなんです。
痛みに鈍感になるということなんです。
自分の痛みに鈍感になると、
人の痛みにも鈍感になる。
自分が強いと錯覚した人間は
他人を攻撃する。
痛みに鈍感になり優しさを失う。
いいんですよ、弱いまんまで。
自分の弱さと向き合い、
それを大事になさい。
(テレビドラマ「聖者の行進」野島伸司脚本)