励ますときに気をつけたいのは?


今日は人さまを励ますときに、
励ましが逆に相手を
さらに落ち込ませる場合があるということを、
まほの体験からお伝えします。


あくまでも、まほの思いなので、
そういうこともあるのかぁ・・・ぐらいに
思っていただければと思います。
(40代のころの心情)


まったくの悪意がなく、
その人を励ます意味で、
人の悲しみや痛みを想像し
「がんばれ」と励ますことは、
良くあることですね。


その時、相手のこころが人さまの話を、
素直に聴ける状態の人に、「がんばれ」と
伝えることはオッケーなのです。


それがオッケーだったからと言って、
悲しみが深い人に、「がんばれ」と
同様な言葉をかけるのは、
NGなんです。


どうしてか、お分かりでしょうか。
悲しみには、深さがちゃんとあるんです。
怪我や病気でも、軽傷や重症と区別されますね。


人のこころの悲しみも、
軽度と重度のように分けられますし、
加えて、悲しみをうまく消化できるかどうかの
年齢や環境が左右します。


赤ちゃんも最初は離乳食から始めますし、
点滴ばかりだった患者さんなら、
おもゆからお粥ですね。


こんな風に、人のこころにも、
順番というものがあるんです。


見た目が明るい人が
悩みがない人じゃないですし、
泣いている人が弱いという、
一部分だけで、人のこころを
判断するのは、危険です。


励ます際に、
人さまの悲しみを引き合いに出し、
「がんばれ」というのは、
なんの励ましにもなりません。


むしろ、辛抱できないあなたは、
根性がないと言われているようで、
さらに自信をなくす元です。


みなさんは、まほは我慢強いとお思いでしょう?


まったく違います。
痛がりの怖がりです。
だって、みんな我慢強かったら、
痛みに気づかないお医者さまが増えるし、
がまんできないのは
わたしが弱いからって
自信を失くす元を創るだけです。


わたしはこう思うんですよ。
人が自分から「もう少し頑張ろう」って
心から思えたら意欲が出る。
最初は我慢できなくても、
痛みに耐えているうちに、
自然とちょっとずつ強くなっているんです。


そういう経過を、一緒になって、
「がんばっているねえ」とか
「すごいねえ」の励ましが、
ご本人のやる気を増すと思うんです。


現に、まほの意欲は
みなさんによって引き出されましたからね。


真のやさしさって、
人さまのがんばりを応援でき、
その人の隠れた力を引き出し、
自信をつけてあげられることかもしれません。


自信さえあれば、強くならなくても、
「わたしはわたしでいい」というやさしい心を
ご自身に向けられるような気がいたします。