安心って・・・
不安なこころの反対語で、こころが安らぐことですよね。
あなたはどんな時、安心できますか?
まほはパソコンに夢中でトイレをがまんしていたとき、
無事便座に座り、おしっこが出たとき・・・心がスーッとします。
週末は相方に抱きかかえてもらえるからいいんですが、
自分ひとりの平日はトイレにさっさといけません。
それがわかっているのに「あとちょっと」と
パソコンから離れられないまほが、わるいのですが、
パソコンもしたいし、トイレも無事漏らさず成功させたいのです。
だから間に合った時の安心感は、次への戒めもくれます。
トイレに行くには時間がかかるんだから、
不自由な身体のことをちゃんと考え、早めにトイレに行こう・・・って。
いま、不安材料多いですね。
まほは住んでいる地が被災地から離れていることもあるかもしれません。
でも、まほの大事な愛する人は、関東・東北にたくさんみえます。
だから心配にはなります。
でもね。不安でたまらないって気持ちにはならないんですよ。
なぜか、お分かりですか?
病気を体験し、
不安や現実否定は、絶望しかもたらせないと知ったからです。
批判や不満からは、
さらにみんなのこころに絶望感を増幅させるだけで、
この危機的状況を変えることなどできません。
まずは、いのちがけでお仕事してくださっている人を、
心から応援します。
それから、エネルギー問題のことを議論すればいいと思うんです。
まほは原発問題と自分の病気を重ねあわせています。
わたしはね。
いまは歩けないですが、
43年間歩き、走り、学校にも会社にも行けました。
結婚し子供にも恵まれ、子育ても体験できました。
健康でしたから自由に楽しめました。
歩けた「足」は善で、
歩けなくなった「足」は悪と思ったことはありません。
自由に電気を使えた「原発」は善で、
放射能が出る事故があった「原発」は悪・・・なんでしょうか。
そんなご都合主義で切り捨てられるのでしょうか?
親に育ててもらったのに、年寄りになったら、邪魔ものでしょうか?
わたしは人間には感謝するこころってあると思うんです。
また「ありがとう」と言う気持ちがなければ
生きていけないのじゃないでしょうか。
そんな単純なことじゃないですよね。
脱石油を目指し、電気を安定供給するのに、原発はあったわけです。
3/1の電気が賄えなければ、
我々が電気を使わない生活か、
はたまた電力を補うに足りるエネルギーを考える。
安心な未来を残せるよう、一丸となって模索する時がきたわけです。
再生・復興するには
国民の「士気」が高くないといけません。
不安な人同士がひっついて拡散し、
絶望をあおり、気力を失くして、
復興できるでしょうか。
希望を持った人に、
みんなが集まってこそ、復興は始められると思うんですが。。。