親切とおせっかいは紙一重かも?


わたしたち人間は、
悪意があってすることは、
たぶんないんですね。
ただ、その行為が善意と受け取ってもらえず、
相手のこころを不快にしている場合が
あると思うんですね。


それは、経験や知識に基づいて、
繊細におこなっていることであっても、
受け取る相手も、
自分の経験や知識の中で感じるため、
こころがすれ違ってしまうことがあります。


誤解が生じ、誤解を解くために言う言葉も、
むなしい結果に終わることも少なくないですよね。


これは歳を重ねるほど、
多く経験されることだと思うんです。
人との交流が増えるからです。
当然衝突が増えます。
特に女性は男性に比べ、
弁が立ちますから、(口だけは達者と言われています)
わかってもらうために、
必死でしゃべります。


余談ですが、
若い頃・・・と言っても病気する前ですから、
40歳ごろですね。
後輩に説明していると、
ついつい熱が入るんです。


それを見ていた若い男性が、
「まほさんに怒られているのかと思ったよ」と
まじめな顔で言われたことがあります。
後輩女性(20代)は「被害者」で、
まほが「加害者」にみえたようです。(苦笑)



親切とおせっかい。
ありがたい想いと迷惑な想い。
これらはどちらも紙一重なんです。


なんでも度を超すとだめなんです。
親切も度を越せば、おせっかい。
ありがたいことも度を越せば、
ありがた迷惑という言葉があるように、
迷惑になるんです。


しかし、人間って優しいですからね。
おせっかいはやめてとか、
ありがた迷惑よ・・・と
はっきり言う人は少ないでしょう。


だからこそ、注意したいのは、
自分の思いが相手に押し付けになっていないか、
考えることが大事になってきます。


お若い方はできなくて構いません。
あたまの片隅に入れておくだけで、ずいぶん違うはずです。
50代にもなれば、自然と気付きます。


だって、足し算も出来ない子どもに、
掛け算を教えませんよね。
その年齢のこころの成長ってあるんです。
10代の人が50代のまほと
考えていることが同じだったら、怖いです。
まほが80・90代の人の
きもちになれないようなものです。


あなたの周囲の人生の先輩を頼ってくださいね。
辿ってきた道ですから、
きっといいアドバイスがもらえますよ。


まほが「紙一重」で伝えたかったのは、
境界線を越えたときって、
まほの経験から行くと、
相手のためが自分のために、
すり替わってしまっていて、
相手のきもちより、自分のきもちに
重点がいっていたときのような気がします。


相手のきもち対自分のきもちは
6対4がいいかもしれませんね。。。




>人の顔色に関係なく、
>プライドを持って伝えたいことを
>伝えれば良いと思う。
>魂の樹は何時か考えられないほど
>素晴らしい果実を人の心に生み出すだろう。
>(もう愛の唄なんて詠えない、さだまさし)