10年前の自分に可能性は無限大だと教えたい


超健康体で、仕事をしていたわたしには、
奇跡的にいのちが助かったとはいうものの、
動かなくなった体に絶望し、
いつまでもクヨクヨしていました。


病気から一年近くも、クサッテいました。
それがなぜ、意欲がでたのかと、振り返りますと、
自分の心が、こんなにいつまでも落ち込んでいては、
家族に申し訳ないという気持ちからでした。


家族も周囲も、
決して、わたしを焦らすことをしませんでした。
ある意味、気の済むまで泣かせてくれたわけです。


そうしますとね。
「このままでオマエはいいのか」
「子どもたちに恥ずかしくないのか」
「いつまでそうやってクサッテいるつもりか」
という声が聴こえてくるわけですね。


まほは考えるわけですよ。
クサッテいて、歩けるようになるのか…って。
そうすると、このままではアカンという
気持ちになりましてね。


小さい子は初め、文字は書けない。
けれど、小学校に上がる前には、
自分の名前ぐらい書ける。
そうだ、3歳児(まほ44歳)に
なったつもりで、
ひらがなの練習をしようと、
思い立ったんです。


これが、まほの初めてのチャレンジでした。
もちろん、「再起に懸ける」などという
大きな覚悟があったわけではありません。
何かを始めなくては、だめだと思ったんです。
このままでは終われないと思ったんです。


小学生が使う大きな升目のノートに、
残された握力「5」の右手で、
マジック(サインペン)を握りしめ、
「あいうえお」と書きました。
最初は読めるもんじゃありませんでした。
しかし、人間は人から褒められると、
やる気を出すもので、
ひらがなの文字が形になっていくのは
うれしいものでした。


このひらがなを書くという
最初の意欲がわかなかったら、
今のまほは存在しなかった
・・・とさえ思うんです。


ですから、どんな小さなことでも、
いいんです。
とにかく動いてみてください。


わが家の玄関の廊下の電球は、
時間がたてば、明るくなっていくものです。
スイッチを入れたばかりは、
明るくありません。
徐々に明るくなっていくんです。
希望の灯も、おんなじ理屈かも
しれませんね。


まずは動いてみることです。
失敗や間違いに気づいたら、
その時、修正すればいいんです。
「夢は逃げない。逃げるのは君だ」
という言葉もありますね。


自分自身が、心から
やってみたいと思えたとき、
チャレンジしてください。
その時期があなたの
「適齢期」ですから。。。





ここに咲く花があって、
ここには咲けない花もある。
ここでがんばれる人がいて、
ここで実れない人もいる。
それでいいのです。
(ロングテール)