真のやさしさは誰に向けるべきでしょうか?


55歳と166日目の朝です。
お天気は曇り。
はてなハイクの使い方がよくわかりませんが、
少々いじり中です。


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真のやさしさについて、
50代のまほが感じる想いをつぶやきますね。



やさしさって、いったいなんでしょうかね。
目に見える物体としてあるのではなく、
自分のこころが感じるものですよね。



では、あなたは、どんなときに
やさしさを胸いっぱい感じるでしょうか?



うれしいときですか?
かなしいときですか?



たぶん、かなしいときに、人さまからかけられる言葉に、
やさしさを感じる人が多いんじゃないでしょうか。



それは、自分の悲しさを、
否定せずに、一緒に悲しんでくれる言葉だったり、
態度だったから、
そのやさしさに、涙が出たんじゃないでしょうか。



まほはこんな風に思うんですよ。
やさしさって、その人の心から
にじみ出るようなものなんでしょうね。
きっと誰に褒めてもらおうなんて思わず、
道端に咲いている花のように・・・。
無償の愛なんでしょうね。



病気する前の、まほの人さまの評価は、
やさしい方に入っていたと思います。
人をいじめたり、お世辞を言わないですからね。



自分に厳しく、人にはやさしくする・・・
それがやさしさだと思いこんでいました。
でも、それは真のやさしさではありませんでした。
真のやさしさは、
自分にやさしく、人にもやさしくすることでした。



もっとも大事にしなければならない自分に
やさしくない人間が、
人さまに本当のやさしさを
伝えられるでしょうか?



わたしは最もつらい時期に、
家族のことなど考えられませんでした。
この苦しさ、痛みから逃れることだけを考えていました。
健康な時は人さま優先だったわたしは、
かっこつけていい人のふりをして、
自分をやさしい人間と
錯覚していただけだと気付きました。



自分のつらさに「もうどうでもいい」と
思ったのが何よりの証拠でした。
そこではっきりわかりました。
自分が生きていなければ、
家族をしあわせにはできないと。



それから、まほは自分にやさしく接しました。
今までは人さまをほめることはあっても、
自分をほめることなどありませんでした。
でも、自分をほめだしたんです。
だれに認めてもらわなくても、
毎日の努力を一番よく知っている自分が
「よくがんばっているね」ってほめだしたんです。



人間って、おとなになっても、
ほめられればうれしいですよね。
今までのわたしは自分に厳しくて、
お尻をムチで叩き、
がんばらせていたように思います。
それでも、超健康体ですから、
がんばり続けることができたんです。



でも大病し、体が自由に動かなくなったのに、
自分のお尻をムチで叩いて、がんばらせるのは、
無理でした。



出来ないことだらけな自分に
「駄目じゃないか」「がんばれ」と
だめだしすることは、とっても苦しい・・・。



思うように進まないリハビリに、イライラし、
出来なければその原因を先生に詰め寄り、
それでも出来ないと落ち込みは増し、
自信を失くすばかり。



病後2年ぐらいしたころでしょうか。
こんな今のままじゃ駄目だと。
たぶん、リハビリの先生に
しがみついていこうと思った頃だと思うのですが、
先生の言われること、すべて「YES」でついていきました。



それと同じように少しずつ、
自分の感情も否定せず、
「うんうん、そうかあ」という風に
自分のこころを肯定し、やさしく接しました。



そうやって、自分のこころを
責めることから救ったように思います。
こんなにできない自分にやさしくしているんですよ。
だから、人さまに厳しくできるわけがありません。
自分に接するように、「うんうん」と
話を聞かせてもらっています。
(一番甘えられるのは http://mahonoai.exblog.jp/10913746/