誰でも自分の悲しみが一番おっきいんです

記事の一覧は、こちら。日記をつけた日:267日。
(ずっとブログ開始からの日数と勘違い)
  書かないとカウントされないんですね)
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人間、生きているということは、
いろんな感情があるということですね。



悲しみの比較なんて、出来んです。
なぜなら、だれもが自分の悲しみが
一番おっきいんです。



時に人は言いますね。
「もっとあなたより苦労している人がいるんだから、
がんばらないといかん」って。
わたしはね。
そういう言葉で、元気になれんかったんですね。



頭ではその理屈はわかるんです。
人さまに言われて納得するんじゃなくて、
自分のこころが、
「まだまだ自分は恵まれている。
くよくよしてられん」と思った時、
がんばる意欲って出ると思うんです。



入院中の看護師さんが、こう言ったんです。
「うちのお母さん、もう意気地がなくて、
   でも元気になって歩いとるもん」と。
わたしは、
「ほんとう?弱虫だって、いいの?」と尋ね、
うなずかれた看護師さんに元気をもらったのです。



世間一般には、
「前向きじゃないといけない」とか、
「いつまでくよくよしているの」とか、
「溜め息をつくとしあわせが逃げる」とか、
言われていますね。



たしかに、そうかもしれません。
ですが、ですが、
生きていくのは、
「わたし」であり「あなた」なのです。




世間が納得できる言葉でも、
本人が納得できなければ、苦しいだけです。
そうしたら、自分が生きやすいように、
思い方を変えていいんじゃないでしょうか・・・ね。



まほはそうやって自分にやさしくしてきました。
出来ない自分を卑下するなんて、苦しいだけです。
出来ないことは駄目じゃないんですよぅ。
出来ない人の悲しみや苦労を
体験できるじゃないですか?
そうしてね。
自分は駄目じゃないと思えたこと。
これって、すごいことですよぅ。
だって、人さまにもそういう思いかたが
できるんですから、
めっちゃ、すごいことですよ。



病気にならなければ、
病人の気持ちになれないことは・・・ないんです。
思いやる気持ちがあることが尊いんです。
そうしたとき、自分が体験しなくても、
気持ちを教えてくれる友がいるといいですよ。



まほは障害者の視点で、語ります。
逆に介護をされている人のお気持ちやご苦労を
教えていただくことで、両方の気持ちを、
知ることができます。
まほが「凹」ならば、みなさんは「凸」で
合体すれば、より良い毎日が送れますよ・・・ね。



もっと生身でいい。
生の感情に振り回されていい。
圧し掛かってくる悲傷の前に
跪いたっていいではないか。
跪いて、へたり込んで、頭を垂れて、
泣き叫んで、身悶えして…
その後に人はゆっくりと立ち上がるのだ。
やっと立ち上がれるのだ。
(木練柿、あさのあつこ