わたし=あなたではないというところから出発すると・・・


55歳と172日目の朝です。
良く晴れています。
15日・・・充分ご縁ありの佳き日です。
みなさんも素敵な日曜日を。


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相手を思いやるって、
どうすればいいのでしょうか?
そのことについて、50代のまほの
健康体ではなくなった立場からの目線で
書いてみようと思います。



指紋がみな違うように、
人さまの苦しみ、悲しみを
すべてわかるはずはないんだと思いました。



たとえ、同じような境遇で、
同じような年齢だとしても
わたし=あなたと
思いこんだらいけないと。



いっしょだと思うことから出発するから
違った意見に出合うと、
批判されたととり、
腹を立てたりするものですね。



みんな弱い自分を知ると、
強くなりたいと望みます。
まほもそうでした。
泣くしかなかった(絶望の)時期、
強くなりたいと切実に思いました。
(※絶望という表現は病後10年後に口にした)



しかし、
自分のことをだめなんかじゃないと
受け入れられた時、
強くなる必要なんかないんだと思いました。



出来ないこと=ダメ
弱いこと=ダメ
歩けないこと=ダメ
聞こえないこと=ダメ
と思っていたことが、
駄目なことじゃないと、
自分にやさしくできたこと、
これこそ強さではないかなあと思えたんです。



ダメだと思っていたときは、
自分に厳しく、自分の気持ちを否定してばかり。
もう苦しかったですよぅ。
一番大事にしなきゃいけない自分を、
いじめていたんですからね。



生きづらくしていたのは
病気になったことや、
歩けなくなったことではありませんでした。
かわいそうな自分を
「病気のせい」と思いたかっただけでした。




歳月とはありがたいものですね。
自分の心の傷を薄くしてくれました。
洋服のしみが薄くなるように。



でも、薄くはなっても、
大病したという事実は消えていないんですね。
消えないけれど・・・
いまのまほは、過去に縛られていません。
未来に向かって、楽しく生きたいですもん。
ちゃんと過去の失敗を生かして・・・ね。



ひょっとしたら、思いやるって、
まずは自分の気持ちを
大事にすることじゃないでしょうか?
まほは自分にやさしくできるようになったら、
家族にもやさしくなれた気がしますよぅ。



感情なんてものは、
水道の水といっしょや。
必要なときはたっぷり出して、
出したらあかんときは、
きちっと締めておく。
このあたりのコントロール
できだしたら一流やぞ。
(グラウンドの空、あさのあつこ