いのちは誰のものでしょうか?


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55歳と194日目の朝です。(日記を書いた日数287日)
194日・・・「イクヨ」とも読みます。
今日も元気に、いくよ〜と自分を励まします。


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最近では、延命治療が進む中で、
当の患者の意思が尊重されなくなっていることを思うと
同時に、「いのちは誰のものか」・・・については
分かれるんじゃんないか、
答えはひとつじゃないと思いました。



生きるのは自分のためですが、
生かされている事実を考えると、
自分のものであって、みんなのものと、
半々じゃないだろうかとも思いました。
いまの自分があるのも、ご先祖様のお蔭で、
いのちは綿々と続いてきたわけです。



どちらにせよ、
「しあわせに生きたい」という思いは
みんな一緒だと思うんです。
でも、いま自分を取り巻く環境がしあわせではなく、
この世から消えてしまいたいという思いを
膨らませてしまっていると思うんです。
生きたい<死にたい・・・の
構図になってきちゃうんですね。
あまりにも耐えがたい環境に置かれますと・・・。



そんなとき、わたしに何ができるかと考えます。
なにもできません、残念ながら・・・。
そうなんですが、
何も行動できないとは思っていないんですよ。



わたしがブログを書くのは、
当初わたしを支えてくれた家族に遺す
日記のようなものでした。
ひらがなしか書けなかった当時、
自分の思いを託すことに限界を感じ、
友人の勧めでブログに挑戦しました。



いまはというと、書くことで、
自分の心が整理されていますね。
何がうれしかったのか、
悲しいのか、腹が立ったのか・・・など。



振り返れば、
「腹を立てることじゃなかったな」と
思えることもあります。
でも、その時のまほは
悔しかったり、泣いたりしていたわけです。



赤ちゃんも
すぐに歩けるようになったわけではありませんね。
歩けるようになる過程って大事なんですね。
まほの心の成長記録も大事なんです。



だって、絶望しかなかったまほが、
希望に代えていく心の変化を
いま苦しんでいる人に伝えたいですもん。



一方通行でいいんです。
悩んでいる人が、ふと立ち寄った先で、
ちっちゃな灯になることばと出合っていただけたら、
まほはしあわせです。



みなさんが楽しんでお料理されるように、
まほもブログ更新を毎日楽しみます。
どうぞ、仲良くしてくださいね。
(あなたの傍にいさせて http://mahonoai.exblog.jp/8624479/