謙虚に生きることはしあわせの近道かも?


土・日は身体を休めますね。
20日は朝一で整形受診ですので、
帰ってきたらつぶやきます。
よろしくお願いします。
みなさんも佳き週末を。



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わたしたちは傷ついたりしますと、
自分は弱いからだと、思いがちです。



こう書いている自分も、
予期せぬ事態に、自分なりに苦しみ、
いやというほど自分の弱さを思い知り、
強くなりたいと望んだのです。



わたしは、病気になるまで、
自分のことを「弱い人間」とは
思っていませんでした。
「強い」とも思ってはいませんでしたが、
弱い人間とも思っていなかったんですね。



どうして、弱い人間ではないと
傲慢であったのかを考えますと、答えはひとつ。
超健康体で、ほとんどの日常生活は
自分の力でできたからです。



周囲をよく見てください。
不自由である人が人さまにものごとを
お願いするときに、傲慢でしょうか?
よろしくお願いしますと、気持ちよく頭を下げ、
笑顔で「ありがとう」と言える人じゃないですか?



傲慢な態度などなく、
謙虚であられると思うのです。
謙虚な人は、強くなくても、
人さまにもご自分にも、やさしいのです。
そうして、人さまを上手に生かし切っているのです。
謙虚な生き方の人は、
すべてできる力があっても、
自分でやるのではなく、人さまに頼むことができる方です。



能力が高くて、なんだってひとりでやれる人が
「強い」のではありません。
本当に強い人は、威張りません。
だって、そんな必要などないじゃありませんか。



いつだって、評価は人さまが下すもの。
自分自身が「オマエはいい奴」って思っていたら、
人の評価など、気にならないでしょう。
50代になると、誰だって、そう思えてきますよ。
思えないのは、お若い証拠。
思えないからって、何にも心配いりません。



まほも、病気(40代)するまで、思えませんでしたからね。
歳を重ねられる素晴らしさは、そこにあるんですよぅ。



病後10年経って思いますのは、
強くなる必要などなかったということ。
むしろ強くなれば、人間が本来持っている
「やさしさ」がなくなることを危惧しています。



今の日本をご覧ください。
強い人が増え、「負け犬」「ひきこもり」という言葉が流行し、
弱者が生きづらい世の中になってしまっています。



元気な人は大きく羽ばたいて、
弱い人を助けてあげる社会こそが素晴らしいのです。



傲慢さは偽りの「強さ」を生みます。
「弱さ」こそが「やさしさ」のおおもとなんです。
言い換えれば、弱さこそがやさしさなのです。



強くなればなるほど、
苦しんでいる人の、気持ちにはなれません。
感覚が「マヒ」するんです。
気持ちが「鈍感」になるんです。



わたしは弱いご自分を知っている、あなたが好きです。
そうして、あなたのやさしさに救われています。


どんな人生を送ることが
自分にとって幸せなのか。
簡単なようで実はこれがとても難しい。(中略)
重要なのは足るを知ることではないでしょうか。
どの状態になれば満足するのかを自分で、
あるいは夫婦で確認しておくとよいでしょう。
[2011.5.30号]
(プレジデント)