どう望もうと・・・


55歳と209日目のありがたい朝です。
昨夜は、故人をしのんで眠ったので、
今朝目が覚めたありがたさは新鮮です。


順番とは言わないけれど、
まほよりお若い年齢での旅立ちには、
とてもつらいものがあります。
このつらいと言う自分の気持ちに、
じっくり寄り添いたいと思います。


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どう望もうと変えられないものって、ありますよね。



旅立った人をこの世に生き返らせること。
病気や障害を持たずに生きること
自分の気に入る親や学校の先生を選ぶこと…などなど。



ちょっと、大きなものを書き出してみました。
そんなとき、どうすればいいでしょうか?
人生はすべて選択の連続です。



わたしはね。
選べないなら、うまく付き合っていこうと、
50代ですし、家族もいますし、
がんばれるようになりました。



もちろん、病気になり、絶望もし、
悶々とした1年を過ごしました。
自分でも元気を出さなくっちゃと
頭では分かっているんですよ。
でも、こころが前を向かずに、
楽しみもない1年を過ごしました。



わたしの場合、「覆水盆に返らず」です。
どうあがいたって、
失った筋肉はすぐに戻りません。
聴こえなくなった耳は
元通りにはなりません。



泣いていても、
歩けるようにはならないと悟り、
こんなにも「くよくよ」している自分を
家族に申し訳なく思っていました。



わたしは「しあわせに生きたい」と思いました。
消えたかもしれない命を助けていただけたんです。
自分が命を粗末にするようなら、
その時、消えていたらよかったわけです。



ならば、わたしは「ただ」生きるんじゃなくて、
ご恩返ししようと思いました。
まず私がしあわせと思える生き方をしなければ、
ご恩返しなどできません。



そのために、まず自分を愛したんです。
どんなに駄目だなと思うことでも、
いまはいいんだと「肯定」し、
自分の味方は「まほ」であり続けました。



みなさんは、
「まほさんはやさしいですね」と
おっしゃってくださいますよね。
それは、みなさんにやさしいのではなく、
「まほ」が「まほ」にやさしいからです。



己の弱さをとことん知りましたから、
弱さ8割がやさしさ8割に代わっただけなんです。



体が不自由になりますと、
健康時より、当然できることが減ります。
つまり守り抜くものが人さまより少ないわけです。
そうしますとね。
それをとっても大事にできるんですよ。



たとえば、お金持ちの1万円は、
さほどの価値はないでしょう。
ですが、お金に困っている人からすれば、
その1万円は大事なものになります。
それだけで数日は食いつなげ、
生きられますね。



それと、まほの自由もおんなじなんですね。
残されたものを大事にするということです。
考えることができる頭と
見える目、そうして動く指があります。



楽しく生きる道を一緒に探していきましょうよ。
環境は変えられなくても、
自分の心の持ち方は代えられますもんね。
まずはご自分の心の声をよく聴いて、
決して否定しないでくださいね。
それがご自分を愛すること、
つまりはしあわせへの入り口なんですよぅ。



たとえ一つの小さな
「できる」ことであっても、
その一つを体験すれば
さらに大きな「できる」ことを
引き寄せることができます。
(続・生きかた上手、日野原重明

どうあがいたって、
受け止めなくていけないものが
たくさんある。

どうもがいたって、
変わらない現実がいくつもある。
だけど、それを和らげる方法は
いくつかあるはずだ。

(卵の緒[7’s blood]、瀬尾まいこ)