ほめると言うことはあなたを生き生きさせますよぅ


55歳と245日目の朝です。
今日もまほにお付き合いください。
あなたはあなたらしく・・・でいいのですよぅ
http://mahonoai.exblog.jp/13141005/


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今日は50代のまほならではの
思い方について、おしゃべりさせていただきますね。
お若いお母さま方も読んでくださるとうれしいです。
(ちょっと長文です。お時間あるときに)


わたしは、ありがたいことに、
苦労もせず、子どもに恵まれ、
またありがたいことに、子どもは、
病気や障害がなく生まれてきてくれました。
そのお陰で、わたしは「母親」になれたわけです。



私自身超健康体であり、
苦労という苦労もせず、
母親になり、ありがたいと思うより、
すべてが、あったり前のことでした。



当然ですが、若いわたしは深い考えもなく、
日々忙しさに流されていました。
まだ、いまのように女性が働くという
風潮ではない時代でしたので、
フルタイムで働くわたしに世間の目は厳しかったです。



「こんな小さな子を保育園に預けてかわいそう」
「仕事に行って子どものことほったらかし」
・・・等々、いろんな声がありました。



30年以上前ってそういう時代だったのですよぅ。
信じられませんでしょ。



なんでも変わっていくんです。
永遠に命があるわけでないように、
変化し続けているんですね。
また、自分が少しずつ変わっていかないと、
生きづらいですよ。



そのことに気づきだしたのは、
長い入院生活があったからです。



今思うと、若いころの私は、
よく子どもを怒っていました。
寝顔を見ては、「ごめんね」と涙でした。



この「怒る」という感情、
怒られる側を体験すると、
如何に、子どもの成長を阻害するかがわかります。



特に大人は、
出来ないことを責めるじゃないですか?
そうして、子どもに、
出来ないことはだめという心理を植え付けます。



わたしはね。
不自由な体になって、看護師さんから
駄目じゃないと怒られるたびに、
怒られるということが
どんなに悲しくつらいことか知りました。
(※ほとんどの看護師さんはやさしかったですよ。
  ごく一部の方。まほのために言ってくれても、
 まほはそこまでこころ豊かではなかった)



ああ〜、わたしもこんな風に
子どもを怒っていたんだと思いました。
子どもってなんとがまん強い子なんでしょう。
小さければ小さいほど、
言葉を使えないですから、反論も出来ず、
それなのに、そんなこともお構いなしに
がみがみ言う大人。



これこそ、弱者いじめの最初だと思いました。
怒られて伸びる子などいません。
けれど、いいところを心から褒めると伸びるんです。



これは、まほで証明済みです。
まほが怒られてばっかりでしたら、
やる気ゼロ、いまも寝たきりで、
しゃべることも忘れた体になっていたでしょう。



わたしはいやな思いもしました。
でもそのお陰で、どういう言葉が人を傷つけたり、
不快にさせるか、判断ができ、
今では、まほの頭の中で「まほ変換」が
起こります。



この「まほ変換」というのは、
パソコンで英文字入力し、変換ボタンを押すと、
該当の漢字が出ますでしょ。
それ同様、「まほ変換」というのは、
不快な言葉を
自分も相手も気持ちのいい言葉に
代えられる機能のようなもの。



それでも、まだまだ進化中ですので、
口から出る言葉や文字にする言葉が、
知らず知らずに人さまを傷つけているかもしれません。
歳を重ねながら、バージョンアップし続けたいです。



一番言いたかったのは、
褒める行為が、自分も人さまも成長させるということ。
相手のことを思って言う「叱る」という行為でも、
批判の類ですから、よほどの信頼関係があり、
考え方が柔軟な方でない限り、
褒めるという効果に、ほど遠い気がします。



まほは自分が嫌なことは
人には絶対しないという信念があります。
それをすると
自分がしあわせに生きることが難しくなります。
相手を傷つける言葉は受け取り拒否で、
ブーメランのように、
自分の心に返ってきますからねぇ。