良き友との出会いは宝です


55歳と265日目の朝です。
人間には「悔しい」という感情があるのですが、
生きていくうえで、この思いこそ、
自分の心に火をつけるものはないんではないかと思うのです。
アスリートは負けて悔しい気持ちが、次への意欲に火をつけます。



わたしも入院中の「大人のあかちゃん」という
医療従事者のことばに悔し泣き。
たしかに人工呼吸器装着でしゃべれないし、おむつをしてる・・・
けれど、だれもが好きでこうなったんじゃない。
これから立ち直っていこうとしている「まほ」には、
残酷すぎる言葉でした。



この言葉を言った人、大嫌いでした。
でも、いまはこの人がいたから
「クソ〜負けるもんか」と思ったわけですよね。
「悔しい」という感情は生き抜く力でした。
おおいに悔しんで、あとで泣き笑いしましょうよ、約束ですぞ。


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ちょっとした言い方が人を喜ばせたり、
悲しませたりするということを思います。
でも言葉というものがあればこそ、
スムーズに会話ができます。



会話する相手が自分と近い距離の人と、
そうでない人とでは、言葉への反応も違うのだと。



たとえば、わかりやすい例で言うと、
恋人の彼から、
「オマエってばかだなあ」と言われても、
笑っていますよね。
でも他人から「オマエってばかだなあ」と
言われたら、腹が立ちませんか?



またすごく親しい人と出会った時、
「まだ生きとったか」と言われても
笑っていられますね。
逆に他人から同様のことばを言われたら、
なんと言う人かと怒るでしょう?



そんなように、言葉って
向ける相手によっても変化しますね。
そういう対応がうまくできる人が、
心が賢い大人だと、まほは思います。




自分が悲しい、悔しい、つらいという感情を
経験することは、未来の自分を助ける宝だと
思いました。




どんなに頭が賢い人でも、
経験のない知識は、賢い知恵には
結び付きにくいでしょうし、
負けたことのない人で、
「悔しい」という気持ちが、
ちゃんと理解できている人を、
まほは残念ながら知りません。




50代になって思います。
経験は宝だと。良き友との出会いは宝だと。
まほと出会ってくださって、みなさんありがとう。




心が軽くなるのは、
あなたの声を聞いた時。

自信がもてるのは、
あなたが相づちを打ってくれた時。

あなたがいると、
わたしは変われるような気がする。

(作者不詳)