後悔と言う気持ちを手放すと(過去記事再掲)

※もうひとつのブログ
ありがとうはまほ(う)のことば (4/28更新)
http://mahonoai.exblog.jp/d2012-04-28/
下記は長文なので、お時間があるときに。。。


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みなさん、おはようございます。
56歳と158日目の朝です。
いつもあたたかな応援感謝です。
コメントもありがたく拝読、
みなさんの頑張りを感じ、またまほへのお気遣い
うれしく思います。


長文が打ちづらく、過去記事ですが、
まほが伝えたいことですので、
読んでいただけたら、うれしいです。


わたしは大病し、こういう状態になり、
なぜもっと自分を大事にしなかったんだろうと、
後悔の毎日でした。



ベッドに寝ているしかなく、
それも寝ていること自体が苦痛で、
動かない体、とくに足は痛く、
足の置き場を変えてもらわないと、
自分では動かせず、大変つらい状況でした。



寝ているしかないのですが、
眠れず、頭は壊れなかったので、
どうしても考えてしまいます。
考えれば考えるほど、後悔しかなく、
涙は止まることはありませんでした。



眠っている時間だけが悪夢を忘れられた、
まほの安らぎでした。



もう一生、この後悔という気持ちは、
消えることはない・・・そう思っていました。



ところが、2006年の命の恩人の誕生日には、
消えていたんです。



それは、きっと、
2005年からブログをはじめ、
読者さんが付き始め、そのみなさんの応援が、
わたしの悲しみを薄くしていって
くださったからだと思います。



どんなにあがいても元には戻れません。
「覆水盆に返らず」のことわざのように、
こぼれたお水を拾い集めることなどできません。



どれだけ、後悔しようとも、
歩けるようにはなりません。
わたしは、これからしあわせに生きたかった。



後悔を引きづり、これから30年も、
悲しみの中にいて、
悲劇のヒロインでいるのは嫌でした。



悲しい過去を手放して、
いけなかったところを反省し、
未来に生かしていくためにも、
「いま」を精いっぱい
生きようと思ったのです。



自分が変わらなければ、
生きにくいと思いました。
後悔という気持ちを手放し、
しあわせに生きたいという
希望に代えました。



強くなきゃいけない。
完璧に出来なきゃいけない。
健康でなくっちゃいけない・・・
そんな風にばっかり思っていました。



しかし、しかしですよ。
人間とは弱いもの。人間は不完全と
知ったことは大きかった。
そうして、人は病気になったり、
老いることは自然のことだと思ったんです。



まほはたまたま、
健康に生まれただけで、その後病気になった。
生まれたときから、
病気や障害を持っている人もいるわけです。



そう考えますと、わたしが健康であったのは、
まほの身代わりになってくださって、
病気や障害を引き受けてくれた人が
いたということです。



まほには、43歳で発病するまで、
健康体をくださっていたんですね。
わたしの代わりに、
苦しんでいた人のことを思わず、
健康体なことを当たり前に
思って暮らしてきました。



人生の後半で、弱い人の立場で
考えられるようになったわけです。


後悔というのは、私達が感じたくない気持ち
トップ3に入るほどのネガティブな感情ですが、
その衝撃ゆえに様々なメッセージを
私達に教えてくれるものでもあります。

その中でも大きなものは二つ。
「過去ではなく、今を見つめること」
「後悔はあなたの隠れた才能を教えてくれること」

本当にその通りだと思いました。
後悔という気持ちを手放し、
反省に変えたら、とても心が軽くなり、
わたしの失敗を伝えていける今を
とてもありがたく、しあわせに思います。