4/11 おはようございます


55歳と138日目の朝です。


大震災より1ヶ月が経ちました。
この間、被災地のみなさんや、避難されているみなさん、
計画停電が行われていらっしゃるみなさんには、
とても厳しい、厳しすぎる生活であったと思われます。


自分自身、朝からパソコンに向かえる環境を、
こころより感謝し、それも苦難を乗り越えられようと
がんばっていてくれているみなさんのおかげと、
肝に銘じています。


被災地のみなさんのご苦労を想像しかできませんが、
同化して、まほまで元気を失くしてしまっては、
なんにもならない、かえって復興の足手まといとなって、
復興を遅らせるだけだと心得ています。


わたしに出来るのは、
自分が元気に生きていて、生活物資を消費し、
経済を循環させることですね。
ひとりひとりに役目があります。
自分に無理なくできることを、粛々と、やっていきますね。


今日も、みなさん、仲良くしてくださいね。
よろしくお願いします。
元気はつらつぅ〜

励ますときに気をつけたいのは?


今日は人さまを励ますときに、
励ましが逆に相手を
さらに落ち込ませる場合があるということを、
まほの体験からお伝えします。


あくまでも、まほの思いなので、
そういうこともあるのかぁ・・・ぐらいに
思っていただければと思います。
(40代のころの心情)


まったくの悪意がなく、
その人を励ます意味で、
人の悲しみや痛みを想像し
「がんばれ」と励ますことは、
良くあることですね。


その時、相手のこころが人さまの話を、
素直に聴ける状態の人に、「がんばれ」と
伝えることはオッケーなのです。


それがオッケーだったからと言って、
悲しみが深い人に、「がんばれ」と
同様な言葉をかけるのは、
NGなんです。


どうしてか、お分かりでしょうか。
悲しみには、深さがちゃんとあるんです。
怪我や病気でも、軽傷や重症と区別されますね。


人のこころの悲しみも、
軽度と重度のように分けられますし、
加えて、悲しみをうまく消化できるかどうかの
年齢や環境が左右します。


赤ちゃんも最初は離乳食から始めますし、
点滴ばかりだった患者さんなら、
おもゆからお粥ですね。


こんな風に、人のこころにも、
順番というものがあるんです。


見た目が明るい人が
悩みがない人じゃないですし、
泣いている人が弱いという、
一部分だけで、人のこころを
判断するのは、危険です。


励ます際に、
人さまの悲しみを引き合いに出し、
「がんばれ」というのは、
なんの励ましにもなりません。


むしろ、辛抱できないあなたは、
根性がないと言われているようで、
さらに自信をなくす元です。


みなさんは、まほは我慢強いとお思いでしょう?


まったく違います。
痛がりの怖がりです。
だって、みんな我慢強かったら、
痛みに気づかないお医者さまが増えるし、
がまんできないのは
わたしが弱いからって
自信を失くす元を創るだけです。


わたしはこう思うんですよ。
人が自分から「もう少し頑張ろう」って
心から思えたら意欲が出る。
最初は我慢できなくても、
痛みに耐えているうちに、
自然とちょっとずつ強くなっているんです。


そういう経過を、一緒になって、
「がんばっているねえ」とか
「すごいねえ」の励ましが、
ご本人のやる気を増すと思うんです。


現に、まほの意欲は
みなさんによって引き出されましたからね。


真のやさしさって、
人さまのがんばりを応援でき、
その人の隠れた力を引き出し、
自信をつけてあげられることかもしれません。


自信さえあれば、強くならなくても、
「わたしはわたしでいい」というやさしい心を
ご自身に向けられるような気がいたします。

励ましの言葉に必要な心は何でしょうか?


悲しみの比較で、
「あの人はこんなにがんばっているんだから・・・」
というのは、つらい人への
励ましにはなりません。
元気づけるために言うのでしょうが、
さらにご本人を追い詰めるだけです。


なぜなら、
「なんとか、しないとだめだ」と
思っているのは、
他人よりもご本人だからです。


それよりも、つらい気持ちを聴き、
受け止めてあげてください。
人は答えがほしいのではなく、
どうしようもない気持ちを、
ただ聴いてほしいのです。


「うんうん」と
うなずくだけでもいいんです。
会っているのであれば、
抱きしめてあげるだけでいいんです。


あの人はこんなにも大変でも明るいよ・・・
という励ましは、「毒」であり、
良薬にはなりません。


悲しみや悩みの深さは
年齢や環境によっても異なります。
苦しんでいるご本人が一番つらいんです。
そう思ってくださって、間違いありません。
ご本人の悲しみに寄り添うには、
そういう思い方をしていただきたいんです。


子どもと大人でも違うように、
大人といえど、20代と80代では
全く違います。


まほのブログの読者層は広いです。
ですから、50代のまほが
いま伝えていることが、
お若い人にはわかりづらいかもしれません。
またその逆で60・70代の方からみれば、
甘いなあ〜と思われることもあるはずです。


まほは自分が辿ってきた年代は
多少はわかります。
これから出会う年代には、
人生の先輩のお話を
ちゃんと聴かせていただこうと思います。


まほは「しあわせに生きたい」のです。
ではどうすれば、
しあわせになれるのかと言いますと、
自分にやさしくすることだと思うんですね。
自分の今の感情が正しくなくても、
ご自分の心を受けとめてあげてほしいのです。


こう言いますと、それは「自己チュウ」だと
勘違いされる方が多いのですが、
まったく違います。


自分にだけやさしいのは、
「自己チュウ」ですが、
他の人にもやさしくできるのは、
「自己愛」という「愛」なんです。


自分を愛せない人に、
他の人を愛せますでしょうか?
そうして周囲から愛される人に
なれるでしょうか?

安心って・・・


不安なこころの反対語で、こころが安らぐことですよね。
あなたはどんな時、安心できますか?


まほはパソコンに夢中でトイレをがまんしていたとき、
無事便座に座り、おしっこが出たとき・・・心がスーッとします。


週末は相方に抱きかかえてもらえるからいいんですが、
自分ひとりの平日はトイレにさっさといけません。
それがわかっているのに「あとちょっと」と
パソコンから離れられないまほが、わるいのですが、
パソコンもしたいし、トイレも無事漏らさず成功させたいのです。


だから間に合った時の安心感は、次への戒めもくれます。
トイレに行くには時間がかかるんだから、
不自由な身体のことをちゃんと考え、早めにトイレに行こう・・・って。



いま、不安材料多いですね。
まほは住んでいる地が被災地から離れていることもあるかもしれません。
でも、まほの大事な愛する人は、関東・東北にたくさんみえます。


だから心配にはなります。
でもね。不安でたまらないって気持ちにはならないんですよ。


なぜか、お分かりですか?


病気を体験し、
不安や現実否定は、絶望しかもたらせないと知ったからです。


批判や不満からは、
さらにみんなのこころに絶望感を増幅させるだけで、
この危機的状況を変えることなどできません。


まずは、いのちがけでお仕事してくださっている人を、
心から応援します。
それから、エネルギー問題のことを議論すればいいと思うんです。


まほは原発問題と自分の病気を重ねあわせています。


わたしはね。
いまは歩けないですが、
43年間歩き、走り、学校にも会社にも行けました。
結婚し子供にも恵まれ、子育ても体験できました。
健康でしたから自由に楽しめました。
歩けた「足」は善で、
歩けなくなった「足」は悪と思ったことはありません。


自由に電気を使えた「原発」は善で、
放射能が出る事故があった「原発」は悪・・・なんでしょうか。
そんなご都合主義で切り捨てられるのでしょうか?


親に育ててもらったのに、年寄りになったら、邪魔ものでしょうか?
わたしは人間には感謝するこころってあると思うんです。
また「ありがとう」と言う気持ちがなければ
生きていけないのじゃないでしょうか。




そんな単純なことじゃないですよね。
脱石油を目指し、電気を安定供給するのに、原発はあったわけです。
3/1の電気が賄えなければ、
我々が電気を使わない生活か、
はたまた電力を補うに足りるエネルギーを考える。
安心な未来を残せるよう、一丸となって模索する時がきたわけです。


再生・復興するには
国民の「士気」が高くないといけません。
不安な人同士がひっついて拡散し、
絶望をあおり、気力を失くして、
復興できるでしょうか。


希望を持った人に、
みんなが集まってこそ、復興は始められると思うんですが。。。